tanchanのバイク日記

趣味のバイクを中心に日常を綴ります。

2014年12月

今年ももうすぐ終わりです。
 
単身赴任中なのは仕方ないのですが、今年は特に土曜に仕事が多かったことや週末に台風が集中したので、あまりツーリングに行けませんでした。
加えて長距離ツーリング専用マシンのF650STが謎の不調で・・・
 
5月のGWは余呉湖へ・・・。
 
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6月には痛恨の紀伊半島半周ツーリング・・・。必ずリベンジします
 
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7月は二週続けての能登半島お祭りツーリング。暑かった・・・。
 
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ヒョウタンツギさまと初ツーリングにも行きました。雨で大変でした・・・。
 
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8月には白馬のモトラッドでnineTにも乗りました。本当はF650STで行きたかった・・・。
来年はR100RTで
 
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10月は琵琶湖一周・・・。F650STが不調で・・・。
 
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ツーリングと言えるのはこの位ですネ。少ないですね~
 
来年は単身生活からも解放されると思うので、もっと充実したバイクライフが楽しめるかと期待しています。先ずはR100RTの復活を目指します。
 
皆さんにも良い年が訪れますよう、お祈り申し上げます。
来年もよろしくね それでは良いお年を・・・
 
 

エンジンも無事に始動したことだし、今日はエンジンオイルの交換をしましょう。
R100のドレンは、オイルパンの後部にあります。
 
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8mmの六角なので、ナメなくて良いですね~。
 
オイルは財布に優しいシェブロンです。
20W-50は、すぽす太にも使いますので箱買いしました。
 
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注入口兼点検口は左側にあります。タンクとコック、ホース、ワイヤーが邪魔して、とてもオイルが入れ難いです。いっぱいこぼしてしまいました・・・
首の長いオイルジョッキが必要です。
 
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オイルゲージにはドイツ語が書いてあります。たぶん、入れ過ぎるなと書いてあるのでしょう・・・
 
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さすが、ドイツ製

私が生まれる前、1959年のアメリカ映画です。ドタバタミュージカルコメディです。
タイトルは劇中曲「Some like it hot / Some like it cold / Some like it in the pot / Nine days old 熱いのが好きな人もいれば 冷たいのが好きな人もいる 中には9日前から 鍋に残っているのが好きな人もいる」からきています。人の好みはそれぞれといった意味でしょうか?
確かに、ラストシーンを見ると「そうだなぁ~」と思わされます。
 
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yahoo映画の解説です。
禁酒法時代真っ只中のシカゴ。ギャングの抗争に巻き込まれ、聖ヴァレンタインの大虐殺を目撃した二人のバンドマン、ジョー(カーティス)とジェリー(レモン)は、ギャングの追っ手をかわすため女ばかりの楽団に紛れ込む。女装した二人はそこで歌手のシュガー(モンロー)と知り合い、ジョーは彼女に熱を上げるが女装のままではどうしようもなく、楽団を乗せた寝台車は一路マイアミへ。しかし、そこにはギャングの親分コロンボ(ラフト)一行も現れた……。
 
当時、既にモンローは大スターだったのですが、「アル中で玉の輿を狙う尻軽女」という役どころです。
おバカな役どころが、モンローを更にチャーミングにして見せます。全く世代が違うので知りませんでしたが、こんなキャラ設定の女優さんだったんですね~。船中での猛アタックは、圧巻です。
 
それにしても禁酒法時代のアメリカは、酒を飲むのも命懸けだったんですね~。国中が修学旅行中の高校生みたいで笑えます。現代に生まれてヨカッタです。
 
しかし、やはり白黒映画はキツイです。マイアミの(恐らく)青い空、白い砂浜、エメラルドグリーンの海が、冬の日本海に見えます。当時、すでにカラーが主流だった筈ですが、どうして白黒で撮ったんでしょうね?一説には、女装をカラーで映ると見苦しいので白黒にしたとのことですが、真相は・・・
 
 

バッテリーを交換したので、いよいよエンジンを掛けましょう
 
先ずはプラグに火が飛ぶかチェック! OKです
次にプラグホールから2STオイルを垂らし、しばしクランキングしてオイルを回します。
この際、プラグキャップにプラグを差し、アースを取って火花を飛ばさないと電気系を傷めるそうです。
注意注意
 
タンクにガソリンを入れ、キャブのフロート室に燃料が来ているかチェック! OKです
 
チョークを引いてクランキング
 
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数回のクランキングの後、エンジン始動しました
あちこちから盛大にケムリが上がってますが、テールを外へ向け、しばし暖気していると少しずつ治まってきました。少々タペット音が大きいです。
 
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アイドリングは安定しています。発電圧も正常です。
 
ガレージ内を ちょっと走ってみましたが、クラッチやギアも問題なさそうです。
 
なんだかイケそうな気がするぅ~~~

最近、思うところがあって自分なりに「神様」について考えてみました
(あくまでも「私なり」のデタラメ な考えなので、真に受けて人に話さないでくださいね恥をかきますよ~。)
 
そもそも神様ってなんなんでしょう?
自然物に精霊が宿るスピリチュアルな「神」もあるのでしょうが、日本人にとっての神は、やはり天照大神(アマテラス)ではないでしょうか?
皆さんちの神棚にもきっと天照大神のお札が祀ってあると思います。
では、アマテラスとは何でしょう?
 
太古の日本には「縄文人」と呼ばれる原住民(ネイティブジャパニーズ)が住んでいました。
彼らは石器を使って動物や魚を獲り、木の実を採取して生活していました。
動物や魚はいつも同じ場所にいるとは限らないので、獲物を求めて移動しなければなりません。
なので一カ所に定住することもできませんし、常に移動するため住居も簡単なものしか作れません。
また、獲物はいつも獲れる保証はなく、なま物で保存が効かないので、常に飢餓に怯えていました。
衣類も簡素な毛皮を身にまとうだけでした。
 
ある日、縄文人が暮らす地に「弥生人」がやって来ました。
大陸から朝鮮半島を経由し、島伝いに船で海を渡って来たのでした。
弥生人は「コメ」と言われる植物の種や、金属で道具を作る技術を持っており、植物の繊維を利用して布を織ることも出来ました。また、食べ物を調理したり保存するための陶器を焼くこともできました。
彼らのリーダーは「オオクニヌシ」と言いました。
 
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オオクニヌシはとても友好的な人物で、縄文人を殺戮したり、侵略することをしませんでした。
そればかりか、惜しげもなくその技術を教えてくれたのです。
 
金属でできた農具で土地を耕してコメを作り(稲作)、陶器で保存、一年中いつでも煮炊きして食べることが可能になり、縄文人は飢餓の恐怖から解放されました。
また、布で出来た衣類は、冬の寒さからも縄文人を守ってくれます。
稲作は皆で共同して行わないといけないので、田圃の近くに大きな家を建て、集団生活するようになりました。そしてたくさんの「ムラ」が出来ました。
 
ムラの人々はオオクニヌシに大変感謝し、あちこちのムラオサ(村長)が自分の娘を嫁にと差し出しました。オオクニヌシはとても女好きだったので、拒むことなく何人も嫁を娶り、子宝にも恵まれました。
その結果、多くのムラオサと縁戚関係になったオオクニヌシは、ムラをまとめて「クニ」作りました。
 
クニを作ったオオクニヌシですが、実は秘密の使命を持っていました。
オオクニヌシの本当の目的は、本国の国王を日本に移住させることでした。オオクニヌシは、そのための先発隊だったのです。
そしてある日、オオクニヌシは、本国から国王を日本へ呼び寄せます。
 
日本へやってきた国王は「アマテラス」という名の女帝でした。
アマテラスは、オオクニヌシの作ったクニがたいそう立派なことに感動し、大いに称えました。
そして、出雲(現在の島根県)に大きな社を建てて、オオクニヌシを祀りました。
 
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アマテラスも非常に有能な人物で、その後も次々とムラを統合し、更にクニを大きくしました。
このクニが現在の「日本」で、アマテラスの子孫が現在の「皇室」です。
後にアマテラスは伊勢(現在の三重県)に祀られました。
 
現在でも日本人は自分の家(神棚)にアマテラスを祀り、毎年新年に「年神様」を迎え、衣食住が足りた平穏な一年を過ごせたことを感謝し、新しい年も平和であるように祈るのです。
年神様に来て欲しい家は、新しい神様用に神棚のお札を入れ替え、鏡餅をお供えします。玄関には目印のしめ飾りを飾り、「来てください!」とアピールしないといけません。
これが二千数百年間に亘る日本人のシキタリなのです。
 
ところが、私の勤務先では、経費削減を理由に、しめ飾りや鏡餅、新年のお祓いが廃止されてしまいました。「日本人としてどうなんだろう?」ということもありますが、何か不幸なことが起こらないか心配です。なので、勤務先近くの神社でお札を買ってきて、こっそりと神棚にお祀りしました。
 
「年神様 来年も来てくださいね 私は待ってますよ~
 
 
 
 

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