tanchanのバイク日記

趣味のバイクを中心に日常を綴ります。

2015年12月

今年ももうすぐ終わりです。
今年は公私ともどもバタバタした一年でした。

昨年の年末から年明けまでは、勤務先のシステム更新があり、ゆっくりと年末年始を過ごすことができませんでした。
春には転勤となり、3年間の単身赴任生活に終止符を打てたものの、ようやく仕事に慣れた半年後には転職と波乱万丈の一年でした。

なので、あまりツーリングにも出かけられませんでした。
北陸3県をチョロチョロしたのを除くと、復活なったR100で奥琵琶湖へ行ったのと・・・

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姫路から徳島へ一泊つ~へ行っただけでした。過去最低かも知れません・・・

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バイクライフでは、R100の復活と引き換えに長年所有したカタナをドナドナしました。

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あまり充実していなかったバイクライフですが、転職を機にクルマで細切れ日本一周ができたことは、一生の思い出になりました。

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(桜島)

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(青森港)

来年は、もう少し落ち着いた一年となればと願っています。
このような拙いブログに一年間お付き合いいただきまして、ありがとうございました。
来年が皆様にとって良い年となるよう、祈っております。

それでは、良いお年を

バブル期にヒットしたホイチョイ・プロダクション3作品を一気見しました。

第一作はコレと 私をスキーに連れてって です。

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これは私にとって、どストライクですね~。
20代の頃は、正にこんなカンジで楽しんでましたね~。スキー場でのあるあるが満載です。
映画としての評価は色々とあるようですが、私は大好きです


第二作は 彼女が水着に着替えたら です。

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これは、一転してお洒落なマリンスポーツが舞台です。
ストーリーが冒険活劇風となり、それなりに楽しめます。
タバコを吸うのが当然 といったシーンが多く、ビックリします。
今では、意地悪オバサン化した伊藤かずえさんのハイレグ水着姿に驚愕です。
爽やか青年だった竹内力にも驚かされます。
でも、マリンスポーツに縁の無い私には、あまり共感できるところはありませんでした。
ちょっと非現実的なカンジが強すぎます・・・。やり過ぎた


第三作は、波の数だけ抱きしめて です。

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これは、実話をモデルにしただけあって、一転して現実的なラブストーリーに仕上がっています。
じれったい恋愛話をイライラしながら楽しめます。
今では巨大化した松下由樹さんのスレンダーなバディも見どころです。
ただ、皆がやたら日に焼けているだけで、湘南サーファーの生態描写が少なくて残念です。
お洒落な湘南のライフスタイルは、憧れでしたからね~。

3作品とも「軽薄なとの評価をされますが、あの頃はそれが当然でしたからね~。
体験した人には理解できると思います。
3本とも懐かしく楽しめます。

今日は天気が良かったです。12月とは思えませぬ。
あまりに気持ち良い日なので、ちょっとお隣福井県の北潟湖まで散歩しました。
本来ならバイクに乗るべきなのかもしれませんが、寒いので・・・

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クリスマスは終わりましたが、戦場のメリークリスマスを観ました。

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何とも言えない複雑な映画です。
笑いも盛り上がりも一切無く、全編にくらぁ~~い狂気が漂っています。
ロレンスの日本語も何を言っているのか全然わかりませんし、坂本龍一さんの英語もあんまりだし~。

でも、タケシさんは良いですね~。若いです。
一見、残虐な人間に見えますが、残される家族のことを思い?不始末をした部下に切腹させて戦死扱いにしたり、またその後には懇ろに供養をしている姿を見ると、悪い人間ではないように思います。
クリスマスと称して、気まぐれにロレンスとセリアズを開放したりしますしね。

たぶん、自分の職務権限で出来る最大限のことをしていたんだと思います。
でも、結局は戦犯として処刑されてしまいます。
最終的に何が正しいのかは、その時代の価値観がが決めるんでしょうね~。
時代に流された悲しい人の結末です。

東北3日目の宿は、秋田市内でした。

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ホテルの前に見える水面は、久保田城(秋田城)のお堀です。
折角なので、散策してみました。

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久保田城は公式には「秋田城」という名称なのですが、奈良時代に大和朝廷が築いた秋田城と区別するため、一般的は久保田城と呼ばれています。
慶長7年(1602)、佐竹義宣は関ヶ原合戦において徳川家康に味方しなかったとの理由で、常陸水戸54万5,600石から秋田への転封を命じられました。
秋田に入部した義宣はとりあえず、前領主・秋田実季の居城であった湊城に居を構えましたが、手狭なため、翌慶長8年(1603)に雄物川の河口や湊(土崎)が近く、所領の中央部に位置する窪田(久保田)の地に築城を開始します。
翌慶長9年(1604)8月には城は完成し、同10月より久保田城を中心に町割が進められました。

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久保田城には天守閣や石垣が無く、土塀や板塀で囲われていました。もちろん、戦国の世が終わり、さほど堅固な防御を必要としなくなったこともあるのでしょうが、徳川幕府に遠慮したためとか、知行高も分からないという経済的理由が大きかったのかもしれません。

その後、久保田城は佐竹氏累代の居城として幕末まで存続しましたが、寛永10年(1633)・安永7年(1778)と明治13年の火災で建物は失われてしまいました。

現在、城のほとんどが千秋公園として整備されています。三ノ丸跡は千秋城下町・千秋久保田町、北ノ丸跡は千秋北の丸として市街地化されてます。

本丸には表門が復原されています。

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以上で東北の旅は終了です。
お付き合いいただき、ありがとうございました。

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