カテゴリ: 古墳・遺跡
大聖寺城址
大聖寺城址(別名:錦城)には、以前から行ってみたいと思っていたのですが、人に聞くと「ただの山だ!」と言われるので躊躇っていました。
しかし、最近の新聞で「有志の手で整備された」という記事があったので、8日に行ってみました。
入り口には、縄張りの地図が常備されていました。
縄張り内に入ってすぐに「贋金造りの洞穴」がありました。
中に入ってみたかったのですが、泥でぬかるんでいたので止めました。
今度は長靴を準備して来ます。
目の前に聳えるのは「切岸」です。
この時代はまだ石垣を積む技術が無かったのかもしれませんが、なかなかの高低差です。
ここから本丸に向けて坂道を登ります。(石段ではありません)
本丸に至る道は、くねくねと曲げられ、なかなか硬い守りをしています。
本丸の真下まで来ました。
ここからは大聖寺の街並みが一望できます。
さらにうねった坂道を上ると本丸に着きます。
ここが本丸です。
ここまで攻め上るは大変だったでしょう。
関ケ原の合戦後に前田利長に攻め落とされるまでは、豊臣家臣の「山口玄番頭宗永」の居城でした。それまでも、南北朝時代から目まぐるしく城主の変わる要所の城でした。
江戸時代になり一国一城令が出されると、大聖寺城は廃城となり、跡地は立ち入り禁止となりました。
だからこそ、そのままの状態で現在まで残ったのでしょう。
だからかどうか分かりませんが、本丸にある石碑は「山口玄番頭宗永」のものです。
時代が古いので石組みはありませんが、平山城としてはかなりのスケールです。見応えがあります。
もっと世間に広まると良いのに・・・。
しかし、最近の新聞で「有志の手で整備された」という記事があったので、8日に行ってみました。
入り口には、縄張りの地図が常備されていました。
縄張り内に入ってすぐに「贋金造りの洞穴」がありました。
中に入ってみたかったのですが、泥でぬかるんでいたので止めました。
今度は長靴を準備して来ます。
目の前に聳えるのは「切岸」です。
この時代はまだ石垣を積む技術が無かったのかもしれませんが、なかなかの高低差です。
ここから本丸に向けて坂道を登ります。(石段ではありません)
本丸に至る道は、くねくねと曲げられ、なかなか硬い守りをしています。
本丸の真下まで来ました。
ここからは大聖寺の街並みが一望できます。
さらにうねった坂道を上ると本丸に着きます。
ここが本丸です。
ここまで攻め上るは大変だったでしょう。
関ケ原の合戦後に前田利長に攻め落とされるまでは、豊臣家臣の「山口玄番頭宗永」の居城でした。それまでも、南北朝時代から目まぐるしく城主の変わる要所の城でした。
江戸時代になり一国一城令が出されると、大聖寺城は廃城となり、跡地は立ち入り禁止となりました。
だからこそ、そのままの状態で現在まで残ったのでしょう。
だからかどうか分かりませんが、本丸にある石碑は「山口玄番頭宗永」のものです。
時代が古いので石組みはありませんが、平山城としてはかなりのスケールです。見応えがあります。
もっと世間に広まると良いのに・・・。
宮崎城址
源氏のヒーローと言えば誰を想像しますか?
一般的には頼朝や義経を思い浮かべると思いますが、最初に平家を京都から駆逐したのは源(木曽)義仲です。義仲は頼朝・義経兄弟のいとこにあたる人物です。
以仁王は、1180年にクーデターを起こした平家討伐の令旨を出しました。
しかし、以仁王は志半ばで平家軍に殺されてしまいます。
義仲は、都から逃れてきた以仁王の遺児北陸宮を擁護して挙兵、倶利伽羅峠の戦いで平家の大軍を破って入京を果たしました。
1182年に北陸宮の御座所として築かれたのがこの宮崎城です。
北陸自動車道の朝日ICと越中境PAの中間ぐらいにあります。
ここが本丸です。頂上は標高240メートルです。
海岸沿いにそびえる山城です。
難攻不落感がハンパないです。
その後、宮崎城は上杉、佐々、前田と城主が変遷し、江戸時代に入るまで使用されていました。
山から海岸線に下りると、R8のたら汁ストリートに出てきます。
その中の人気店栄食堂に入ってみました。
まだ正午前でしたが、満席でした。他の店はガラガラなのにね・・・
鍋いっぱいのたら汁です。
1人一人前は多過ぎますね。人数マイナス1名くらいが丁度よい感じです。
刺身やフライの盛り合わせを一緒に頼むとGOODです(´∀`)
戦時の遺構
会社の近くにある郵便局の裏にコンクリート製の大きな構築物があります。
小松基地は、戦時中は海軍の飛行場だったので、軍事施設の遺構だと思われます。
カマボコ状の建物に通気口の様な突起が付いています。
気になって調べてみたら、資料がありました。
自力発電所のようですね。
滑走路の位置が現在とずいぶん違います。十字だったんですね・・・
古墳の町、UFOの町
今週は中能登町で仕事でした。
鹿島バイパス沿いに真新しい道の駅があったので、仕事の合間に寄ってみました。
観光地図を見ていると、色々と見所があるようです。
古墳の多い町ですね~。そう言えば、以前に雨の宮古墳へ行ったことがありました。
地図を見ているとかなり由緒正しそうな古墳があったので、暇を見つけて行って見ました。
親王塚古墳です。
何と 宮内庁の管轄です。
何でも崇神天皇の子の大入杵命(オオイリキノミコト)の墓だそうです。
全長72m・後円部径64mの帆立貝形古墳ですが、中には入れません。
しっかし、何でこんな田舎(失礼)に皇子の墓があるんでしょうね
以前、ツーリングした時には、こんな所へも行きました。
日本最古のオニギリ出土地です。
このオニギリのレプリカが、道の駅にありました。
オニギリ ビミョーですね~。
中能登町は色々と見所のある町ですが、宿泊するところがありません。
そこで、隣のUFOの町に泊まることにしました。
お宿はこの町のランドマーク タワー近くの・・・
一泊3,000円もしない激安宿です。
宿はそれなりですが、貧乏ツアラーには最適です。
私の他には、自転車に乗った外人カップルとライダーが2名でした。
そんな激安宿ですが、朝日が望めます。
分り難いですが、朝日の下にあるのは宇宙ロケットです。
古墳と宇宙の複雑なコラボが楽しめる地域です。