tanchanのバイク日記

趣味のバイクを中心に日常を綴ります。

カテゴリ: 旅行(東海)

関ヶ原古戦場記念館の展望台に上ってみました。
展望台には案内ロボットが居ます。
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顔(画面?)の見たい場所をタッチすると、その場所まで連れてって説明してくれます。
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正面の山裾に石田三成の陣が望めます。見にくいですが、山の麓が最終決戦の地です。
これは行ってみなければなりません!

でも、その前に昼ご飯にしましょう。ここら辺に食べるところが無いので、記念館に併設されているカフェレストランで関ケ原決戦定食を食べてみました。
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これにコーヒーが付きます。まずまずの出来です。

食後に記念館から見ていた最終決戦の地へやってきました。
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ここで天下分け目の戦に決着がついたのですね。
感慨深いです。
石田三成の陣にも行ってみましょう。
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この小山の頂上が三成の陣です。
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陣の正面にある平野の中央に徳川家康の最終陣地があったそうです。
三成はどんな気持ちで最終決戦をみていたのでしょうね。

この記念館の展示は、終始三成を忠義の人として好意的に扱っていますね。
理屈っぽく、人望がないというイメージが一掃されました。
関ケ原には、いたるところに「大一、大万、大吉」の三成の上り旗が上げられています。
「一人が万人のため、万人が一人のために尽くす。そうして天下は太平になる」という意味です。
戦は勝った方がメインになりがちですが、関ケ原のメインはやはり三成です。

家に帰ってから岡田准一さんの映画「関ケ原」を見てしまいました。
やはり三成はカッコイイ!!










唐突ですが、その後の世界を変えた世界三大古戦場というのがあるそうです。
ワ-テルロ-(ナポレオン戦争)、ゲティスバ-グ(アメリカ南北戦争)、そして400年前に石田三成率いる西軍と徳川家康率いる東軍が戦った天下分け目の戦い関ケ原の合戦」だそうです。
関ケ原の名前はよく聞いていたのですが、「何もない田んぼの中に石碑が立っているだけ」という刷り込みがあって、今まで行ったことがありませんでした。
何気にネットを見ていると、今は
関ヶ原古戦場記念館というのがあるそうで、31日(日)の猛暑の中、行って来ました。
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いやぁ~、立派な施設ですね~。
二つのシアターでは、大画面かつ振動して風の吹くシートで合戦の様子を臨場感いっぱいに楽しめます。これで500円は超リーズナブルです。

合戦に参加した有力武将の甲冑(レプリカですが)や書状が展示されており、とても興味を持って見させていただきました。説明書きも各武将が何故かネコでキャラクター化され簡潔に説明されているので、人となりがとても分かり易いです。
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ちなみにコレは石田三成です。知的で融通の利かないカンジが良く出ています。
ほとんどがネコのキャラクターなのですが、何故かネコでない武将も・・・

豊臣秀吉です。
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サルです。まあ、秀吉がサルなのは理解できますが・・・
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秀頼です。子ザルはあんまりです。

しかし、まだサルなのは許容範囲内かもしれません。
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ヘビの斎藤道三です。
まあ、マムシの道三と言われたのでしょうがないと思いますが・・・

娘の濃姫です。
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スゴイですね~!感心しました!!

翌12日は、午前9時頃に東山三条のZinanアパートを出発しました。
京大横を通り過ぎ、県道30号で山の中を進みます。
県道30号はかなり細い山道ですが、結構な交通量があるので注意です。
10キロちょっとで大津市に入り、比叡山ドライブウエイ料金所に着きます。

入り口でチケットを取りますが、料金支払いは出る時(同じ道を往復しても)です。


比叡山ドライブウエイはなかなかの快適路です。大津や京都市街を見下ろしながら、ワインディングをグイグイ登ります。

こっちが大津で・・・

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こっちは京都です。

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右側の大きな長方形の緑地は京都御所、その上の小さな正方形が二条城です。
頂上を過ぎるたところに延暦寺(東塔エリア)があります。

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まだ10時前なので、駐車場も空いています。
国宝殿見学込みでチケットを買いました。

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苔むす参道を上ると・・・

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大講堂があります。

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大講堂は、昭和39年(1964)に山麓坂本の讃仏堂を移築したものです。本尊は大日如来で、その左右には比叡山で修行した各宗派の宗祖の木像が祀られています。

大講堂から更に進むと、延暦寺の本堂である根本中堂があります。
延暦寺には東塔・西塔・横川にそれぞれ中心となる仏堂(中堂)がありますが、東塔の根本中堂はその最大の仏堂であり、延暦寺の総本堂となります。本尊は薬師如来です。

んがっ 根本中堂は大改装中でした 残念

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現在の根本中堂は、徳川家光の命で寛永19年(1642)に竣工したもので、国宝に指定されています。また、廻廊は国重要文化財に指定されています。
ご本尊の前には、千二百年間灯り続けている「不滅の法灯」も安置されています。
天台宗の開祖最澄は、「一隅を照らす、これすなわち国宝なり」と説いており、延暦寺では、「一隅を照らす」運動を実施しています。
これは、「みんなが自分の置かれた場所や立場でベストを尽くして光れば、やがて世界が光る」という活動です。なんか良いですね~。


更に進むと阿弥陀堂があります。

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阿弥陀堂は、昭和12年(1937)に建立された、檀信徒の先祖回向の道場です。本尊は丈六の阿弥陀如来です。

阿弥陀堂の横にあるのは、法華総持院東塔です。最澄は日本全国に6か所の宝塔を建て、日本を護る計画をされましたが、その中心の役割をするのがこの東塔になります。現在の建物は昭和55年に再興されました。 本尊は大日如来をはじめとする五智如来が祀られており、塔の上層部には仏舎利と法華経が安置されています。

長い石段を上った根本中堂の東側に文殊楼があります。
これは延暦寺の山門にあたり、本来は徒歩で本坂を登ってくると、この門を潜ることになります。

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 慈覚大師円仁が中国の文殊菩薩堂に倣って創建したものですが、寛文8年(1668)に焼け、その後に建てられたのが現在の建物です。
超急な階段(はしご?)を登って、2階に上ることができます。が、高所恐怖症の方は上らない方が良いと思います。超怖いです

比叡山は古代より「大山咋神(おおやまくいのかみ)」が鎮座する神山として崇められていました。
最澄は延暦7年(788年)、薬師如来を本尊とする現在の根本中堂を創建して比叡山を開きました。
 比叡山は日本の国を鎮め護る寺として朝廷から大きな期待をされ、桓武天皇時代の年号「延暦」から寺号に賜りました。
最澄は鎮護国家の為には、真の指導者である「菩薩僧(ぼさつそう)」を育成しなければならないとして、多くの高僧を輩出することになりました。
特に鎌倉時代以降には、浄土念仏の法然上人、親鸞聖人、良忍上人、一遍上人、真盛上人、禅では臨済宗の栄西禅師、曹洞宗の道元禅師、法華経信仰の日蓮聖人など日本仏教各宗各派の祖師方を育み、日本仏教の母山と仰がれています。
 最盛期には三千にも及ぶ寺院が並んでいたと伝えられますが、浅井・朝倉両軍をかくまったことが発端となり、元亀2年(1571)織田信長によって比叡山は全山焼き討ちされ、堂塔伽藍はことごとく灰燼に帰しました。
その後、豊臣秀吉や徳川家等の尽力により、再興されました。

なるほど だから1300年以上の歴史がありながら、何となく新しいカンジがするんですねネ。 


今週、朝の情報番組を見ていたら、モネの池を特集していました。
以前から行きたいと思っていたものの、イマイチイメージが掴めず躊躇っていたのですが、番組を見ていたら行きたくなってきました。
今日は天気があまり良くなかったのですが、紅葉見物がてら行って見ました。
午前7時に自宅を出発、山中~勝山~大野~九頭竜~白鳥~郡上と走り、3時間ほどで着きました。「名もなき池」です。

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元々は何も無い田舎ですが、街の皆さんが力を合わせて整備した結果、立派な観光地になってしまいました。

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とてもウエルカムな雰囲気です 名物のいももちを無料で振舞ってくれています。
ちなみに「いももち」とは、焼きおにぎりみたいな食べ物です。
とても香ばしくて美味しかったです

で、これが肝心の「モネの池」です。

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神社脇の湧き水を溜めた池に蓮を植え、皆で持ち寄った鯉を放した池です。

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透明な水の中を泳ぐ錦鯉がキレイです。

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「國田おばあちゃんの芝桜」にしろ「モネの池」にしろ、岐阜の方々の「無欲のもてなし」の気持ちが人の心を打つんでしょうね~








龍潭寺の山門から南へ5分ほど歩いた処に「井伊家発祥の井戸(井伊共保出生の井戸」があります。

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ドラマでも重要な語りの場面でよく登場する井戸ですが、実際は山の中ではなく、彼岸花が咲く田んぼの真ん中にあります。
平安時代の寛弘7年(1010年)、この井戸の脇に捨てられていた赤子が、のちに共保と称し、井伊家を興しました。

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ドラマの井戸とかなり趣が異なります。

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ここから井伊家が始まったんですね。

つづく・・・

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